聖書におけるシティムの重要性は何ですか?

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シティムは、ヨルダン川の東、死海の北、エリコの真向かいに位置するモアブの平野に広がる大きな地域です。シティムは、イスラエルの歴史において重要な場所であり、約束の地に入るためにヨルダン川を渡る直前、荒野の放浪の終わりにイスラエルの民が最後に宿営した場所です。

イスラエルは、カナンに入る前に長い間シティムに留まりました。シティム滞在中、バラムとそのろばのエピソードが起こりました。モアブの王バラクは、異教の預言者バラムを雇い、神の民を呪ってカナンに入るのを防ごうとしました。しかし、バラムは逆にイスラエルを祝福することになりました(民数記22~24章)。

シティムでは、イスラエル人は偶像崇拝であるバアル礼拝に誘惑され、モアブとミデヤンの女性たちと不道徳な性的関係を持ちました。彼らの不信仰に怒った主は、イスラエルの男たちに疫病を送り、2万4千人を死に至らせました(民数記25章)。

シティムでは、カナンに入る準備として、戦いの準備が整った男たちを部族ごとに数える人口調査が行われました(民数記26章)。また、シティムを本拠地とするミデヤン人をイスラエル人が打ち破ったのもここでした(民数記31章)。シティムで、モーセは民に別れの言葉と最後の祝福を述べました(申命記31~33章)。シティムで、ヨシュアがモーセの後継者として宣言されました(申命記31:14-29; 34:9)。ヨシュアはシティムから2人の者を密かにエリコを偵察するために送り出しました(ヨシュア記2:1)。

契約の箱を伴ったヨルダン川を渡る奇跡の旅は、シティムから始まり(ヨシュア記3:1)、ギルガルで終わりました(4:19)。この出来事はミカ書でも覚えられています。「わが民よ、覚えよ……シティムからギルガルへのあなたの旅を。それは、主の正しい行いを知るためである」(ミカ書6:5)。

シティムは、ヘブライ語で「アカシアの木」を意味する言葉の音訳です。この場所は、多くのアカシアの木があったことから名付けられたと考えられます。この地域の別名はアベル・シティムで、「アカシアの牧草地(または小川)」を意味します。聖書では短縮版の「シティム」がより頻繁に使用されています。

ヨエル書の預言的な幻の中で言及されている「シティムの谷」または「アカシアの谷」は、神殿からの泉から水を受ける地域です。「その日、山々は甘いぶどう酒を滴らせ、丘々は乳を流し、ユダのすべての川床は水で満ちる。主の家から泉が湧き出て、シティムの谷を潤す」(ヨエル書3:18、ESV)。

シティムの谷の正確な場所は不明です。多くの学者は、ヨルダン川東側の宿営地とは別の場所にあると考えています。ヨエルの預言では、水がエルサレムの神殿から流れ出るため、この谷はヨルダン川の西側にあると思われます。キドロンの谷の下流にあるワディ・エン・ナールがその候補地の一つです。この谷の一部は、乾いた荒野を通って死海に流れ込み、アカシアの木が豊かに生えています。

多くの学者は、ヨエル書のシティムの谷の言及を象徴的で、実際の地理的な場所ではないと考えています。ヨエルは、命の水、恵みの福音が、荒廃し死にゆく世界に新しい命をもたらすことを比喩的に告げていたのです。このメシア的な描写において、キリストご自身が「主の家から湧き出て、シティムの谷を潤す」泉です。命の水の流れは、遠く広くに及び、異邦人や世界の最も遠い地域にまで流れていきます。神の恵みは、決して枯れることのない溢れ出る泉です。

シティムは、ヨルダン川の東&#x300…

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