聖書は熱心であること / 熱意を持つことについて何と言っていますか?
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熱心は「情熱と献身を特徴とする集中した欲望」と定義することができます。聖書はしばしば神とその信者を熱心であると描写しています。旧約聖書(NIV)では、熱心(zeal)が16回、熱心な(zealous)が6回登場します。新約聖書(NIV)では、熱心(zeal)が5回、熱心な(zealous)が7回登場します(Logos Bible Word Study)。一般的に、ヘブライ語やギリシャ語の「熱心」や「熱心な」という言葉は、特に神がその民とその栄光に対して持つ嫉妬の概念も含んでいます(例:民数記25:11;Logos Bible Word Study)。
神は何度も熱心であると描写されています。主の熱心は、イスラエルのために残りの者を提供する(2列王記19:31;イザヤ書37:32)ことや、メシアの統治を確立する(イザヤ書9:7)ことの原因です。また、神の燃えるような怒りはしばしばその熱心と結びつけられ、神の敵や神に耳を傾けない者たちに向けられます(申命記29:29;イザヤ書26:11;42:11;59:17;エゼキエル書5:13;36:5;38:19)。イエスは、神の栄光に対する献身において、両替商の台をひっくり返し、彼らの貪欲から神殿を清めることで熱心を示しました(ヨハネ2:13–17;詩篇69:9参照)。
主の信者たちも聖書で「熱心」であると呼ばれています。ピネハスは、疫病を止め、イスラエルの偶像崇拝を裁く行動を取ることで主に対する熱心を示しました(民数記25:1–9)。主は、ピネハスの熱心が主自身の栄光に対する熱心を反映していると宣言しました(10–13節)。エリヤも、カルメル山でのバアルの祭司たちとの対決において主に対する熱心を示しました(1列王記18:20–40;19:10)。新約聖書の信者に対する命令は、「熱心に欠けることなく、霊的な熱意を保ち、主に仕えなさい」(ローマ12:11)です。
主に対する熱心は良い属性ですが、熱心は誤った方向に向けられることもあります。私たちは「間違ったことに対して、情熱と献身を特徴とする一途な欲望」を持つことができます。サウルの熱心は、ギブオン人を滅ぼしたときに誤った方向に向けられました(2サムエル記21:2;ヨシュア記9:15, 18–21参照)。パウロは、当時の不信仰なユダヤ人たちを「神に対して熱心ではあるが、その熱心は知識に基づいていない」と描写しています(ローマ10:2)。なぜなら、彼らはキリストを拒絶し、「神の義に従わなかった」からです(3節)。
パウロ自身も、救われる前は教会を迫害するのに熱心でした(ピリピ3:6;ガラテヤ1:13–14;使徒1:3)。彼の誤った熱心の中で、彼はステパノの殺害に同意しました(使徒8:1)。パウロが福音によって根本的に変えられた後、彼の熱心は、できるだけ多くの人々にキリストの知識を広めることに向けられました(ローマ15:20)。彼はガラテヤ人たちに、彼らの教えにガラテヤ人たちを引き込もうと熱心な偽教師たちに対して警告しました(ガラテヤ4:17)。
熱心は、その目的によって良くも悪くもなり得ます:「目的が良いなら、熱心であることは良いことです。」また、私たちの熱心は一貫して誠実でなければならず、見せかけだけのものであってはなりません:「私があなたがたと一緒にいる時だけでなく、いつもそうでありなさい」(ガラテヤ4:18)。クリスチャンにとって、私たちはイエスに仕え、福音の命を救う力を他の人々に伝えることに熱心であるべきです(マタイ28:18–19;ローマ3:24)。
熱心は「情熱と献身を特徴と̅…
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