神は論理的ですか?
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by admin
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この質問には二つの解釈があります。一つは、神や神の概念を信じることが論理的かどうかを問うことです。もう一つは、神そのものが論理的な存在かどうかを問うことです。どちらに対しても、答えは「はい、神は論理的です」であり、その理由は似ています。
神を信じることが論理的である理由は、神の存在が人間が問う多くの重要な哲学的問いに対して一貫した答えを提供するからです。例えば、過去の時間が無限であることはあり得ません。無限の瞬間の連鎖の「終わり」に私たちが現在いるという主張は非論理的です。したがって、何らかの始まりの瞬間が存在しなければなりません。したがって、それ自体が原因でない何か、何らかの原因が存在しなければなりません。論理的には、これが神です。
神を信じることが論理的であるもう一つの理由は、宇宙が生命を許容するように精巧に設計されているように見えることです。それだけでなく、この配置は自己認識できるほど複雑な生命を可能にしています。究極的には、これに対する説明は二つしかありません。何らかの神か、あるいは偶然の幸運です。そして、「運」に頼ることは決して論理的な答えではありません。
人間が「論理」を考えるという事実そのものが、神を合理的な信念として支持しています。もし神が存在しないなら、何にも知性、目的、意味はありません。知性、目的、意味は単に物理学と化学が作り出した幻想です。しかし、神が存在しないなら、私たちの理性、知性、学習も単に物理学の幻想に過ぎないことになります。神がいなければ、論理は存在しません。私たちの思考が意味を持つとか、現実を反映していると考える理由はありません。私たちの思考は生存に役立つか、単にランダムな結果かもしれませんが、真実として信頼することはできません。つまり、論理というものが存在すると信じる唯一の方法は、何らかの神を信じることです。
もう一つの重要な点は、論理の法則を信じる人々が、客観的で永遠で非物質的な何かに自信を持っているということです。神が非物質的、永遠、客観的であるという異論は、論理の法則を重視する人にとっては偽善的です。
また、神そのものが論理的であることは、神の言葉と行動からもわかります。まず第一に、神は論理的に行動します。神は計画し、コミュニケーションを取り、議論し、行動します。神は人間と「論じる」ことさえ語っています(イザヤ書1:18)。神は真実と虚偽を区別し、これは基本的な論理の核心です(ヨハネ7:18)。神が常に人間が望むように行動するわけではありませんが、それは神の行動が「非論理的」であることを意味しません。
また、神が「できない」とされること、例えば嘘をついたり変わることなどが、神の論理的な性質の証拠です。真に完全な存在は、定義上、変わることはできません。さもなければ、完全ではなくなります。つまり、神は自らの性質に矛盾することはできず、そうでなければ論理の法則を破ることになります。
もちろん、神と論理に関するこれらの考えはもっと詳細に探求することができますが、それにはここでは十分なスペースがありません。
この質問には二つの解釈があ̈…
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