三位一体に関連する部分主義とは何ですか?
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by admin
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部分主義(Partialism)は、三位一体の三つの位格がそれぞれ「100%神」であるが、「100%の神」ではないという、神についての誤った見解です。例えるなら、部分主義は、大西洋が100%水であり、太平洋も100%水であるが、大西洋だけでは存在するすべての水の100%ではないと指摘します。部分主義によれば、三位一体の各々の位格は本質的に100%神性を持っていますが、神は三つの位格が統一されている時、場所、そして場合にのみ神であるとされます。一部の部分主義者(ただし全てではない)は、この考えをさらに進めて、父、子、聖霊がそれぞれ「神の1/3」であると主張することもあります。
この問題を複雑にしているのは、部分主義の基本的な考え方を解釈する多くの異なる方法です。部分主義者は、三位一体の三つの位格が「共に」いる時のみ神であると主張する一方で、これらの三つの位格が決して分離することはないとも主張し、その考えを実質的に無意味にすることもあります。一方で、極端な部分主義者は、イエスが十字架上で神に叫んだ時(マタイ27:46)、三位一体が破れたと主張するかもしれませんが、これは聖書の概念に完全に反するものです。
したがって、部分主義の特定の解釈は聖書と相容れる場合もありますが、別の解釈は聖書と矛盾し、反する場合もあります。部分主義は比較的曖昧で、広範な解釈が可能であるため、三位一体に関する主要な誤った見解の中ではほとんど言及されません。とはいえ、部分主義の特定の見解、あるいはその考えそのものが、キリスト教の三位一体解釈の多くに反するものです。例えば、教会の父アタナシウスは、ニカイア公会議について書いた中で、神の一体性を正しく強調し、神は「部分を持たない」と述べましたが、部分主義はアタナシウスの見解に反します。部分主義の考えを強く追求すればするほど、神学的に誤った方向に進む可能性が高くなります。
部分主義は多様に適用されるため、全ての部分主義の形態が誤っていると断言することも、全てが真実であると断言することもできません。しかし、一般的に言えば、部分主義のほとんどの解釈は、確立された三位一体の解釈と衝突します。部分主義を通じて得られるであろう価値や洞察は、些細なものであるか、ほとんどありません。一方で、誤解や誤用による潜在的な影響は非常に大きい可能性があります。その結果、部分主義はキリスト教正統派の一部として考えるべき概念ではありません。
部分主義(Partialism)は、三位一体…
部分主義(Partialism)は、三位一体…