Judgesはいつ書かれたのですか?
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『士師記』は、ヨシュアの死から最後の士師であるサムエルの時代、つまりイスラエルに王政が興るまでの期間を描いている(ヨシュア記24:29–33;サムエル記上1:19–28)。この時代、法律や軍事など社会のさまざまな分野で指導的役割を果たした士師たちが、国を守り治めていた。しかし、神の選ばれた民の歴史においては暗い時代でもあり、士師記の著者は「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」(士師記21:25、新改訳2017)という言葉を繰り返し用いてその状況を伝えている。士師記の著者がサムエルである可能性が高いことから、この書は記されている出来事の直後、紀元前1045年から1000年の間に書かれたと考えられる。
士師記の著者は明記されていないが、続く旧約聖書の『サムエル記上』に記された手がかりから、サムエルが著者であると推測される。サムエルは士師としての役割を果たしていたため、士師記との関連性が深い。「サムエルは一生、イスラエルのさばきつかさであった。彼は毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回して、イスラエルをさばいた」(サムエル記上7:15–16)。士師記の著者がサムエルであると考えることで、この書が書かれた時期を特定しやすくなり、サムエルの生涯と使命を士師記に記された出来事と関連付けて理解することも可能となる。
サムエルは紀元前1120年頃に生まれた。士師記が紀元前1045年から1000年の間に書かれたとすれば、サムエルはこの書を書き始めた時、75歳前後で、過去の出来事を振り返っていたことになる。この年代は、士師記に記されている過去形の記述とも一致する。例えば、出来事は「そのころ」(士師記17:6; 18:1; 19:1; 21:25)と記され、その影響が「今日に至るまで」(士師記1:21;6:24; 10:4; 15:19も参照)続いているとされている。こうした表現から、この物語が記された出来事の後に書かれたことがうかがえる。
サムエルが士師記の著者であることに疑問を抱く人々は、主に二つの理由を挙げている。第一に、この書が匿名であり、本文中に年代を特定する手がかりが十分にないため、書かれた時期を確定することはほぼ不可能であると主張する。第二に、士師記は記されている出来事の数百年後に書かれた可能性が高いと指摘する。しかし、彼らが主張するように、本文中に著者や書かれた時期に関する証拠が不十分であるならば、本文がその点について沈黙していることが後の時代に書かれたことを意味するというのは、単なる推測に過ぎない。
士師の時代はイスラエルにとって多くの暗い日々が続いたが、神はその中でも忠実な男女を用いて、ご自身の目的を守り、前進させられた(ヘブル11:32)。この時代のイスラエルの数々の過ちと、わずかな成功は、後の世代のイスラエル人やイエス・キリストの弟子たちがそこから学ぶために記された。使徒パウロはこう書いている。「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためです」(ローマ15:4;コリント第一10:6も参照)。
『士師記』は、ヨシュアの死̄…
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